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へうげもの 25(完) [へうげもの(完)]


へうげもの(25) (モーニング KC)

へうげもの(25) (モーニング KC)

  • 作者: 山田 芳裕
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/01/23
  • メディア: コミック


#263:1615年5月(大阪夏の陣直後)。家康は、古田織部助が口を割らぬのなら、弟子の本阿弥光悦などを所払いにすると圧力をかける。
#264:古田重嗣(織部助の子)は、豊臣秀頼の末子を連れて江戸・福島正則屋敷に到着。その子は増上寺で匿うという。正則は重嗣に仏門入りを勧める。 岩佐又兵衛(荒木村重の子)は黒田長政の家臣に助けられ絵師に戻る。 窯元・陶工の加藤景延(かげのぶ)は織部好みを禁止され美濃を離れる。
#265:5月22日。国松(秀頼の長男)が徳川に捕まるが、家康は信用していない。実際、その子は長宗我部盛親(もりちか)の子であった。 左門(織田有楽斉の子)は仏門に入っていた。左門は俵屋宗達に襖絵を依頼する。その題材が、雷神を家康に、風神を織部助に見立てた風神雷神図。
#266:松平忠輝(家康の6男)は智仁親王(数寄の後援者)に秀頼らの死は未確認であることを知らせる。
#267:6月5日。家康は島津に織部助との関係を質すが、何も得られず。11日に織部助を切腹させると決める。 一方、国松は豊後・木下に、秀頼は薩摩に渡っていた。 将軍秀忠は織部助に自作の茶杓を送る。その蟻腰の茶杓を見た織部助は、秀忠が数寄を身に付けたと確信し、「思い残すことはない」と返事を書く。
#268:6月7日。多くの家臣を味方に付けた秀忠は、家康に織部助の切腹中止の印を押せと迫る(クーデター)。家康は失神。そこに織部助からの手紙が届けられ、秀忠は織部助の決意を知る。
#269:秀忠は柳生宗矩に織部助の介錯を命じる。
#270:6月11日、織部助切腹の日。介錯役で現れたのは、何と家康。
#271:家康と織部助はつかみ合っての殺し合い。小堀遠州(政一)に湯を掛けられて止められる。
#272:さて、いよいよ切腹。織部助が腹に脇差を差すと、興奮のあまり脱糞・放屁。あまりの臭さに、家康は思わず笑ってしまう。そして・・・
#273:翌1616年、家康死亡。織田有楽斉や織部助の妻せんも死亡。 1650年。岩佐又兵衛と上田宗箇(織部助の弟子)は織部助の切腹が信じられず、堺や薩摩でその足跡を探す。すると、数寄者の翁が琉球に渡ったとの話が。琉球にて、豚の蚊取り線香入れを見つけた宗箇は、「ひょうげものめ」とつぶやくのであった(完)


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